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 マラソン挑戦

 先週だったか、電車内の某雑誌の中刷り広告に「24時間マラソン・西村知美"20㌔を35分間で走破"騒動記」とあった。記事を読んでないので、詳しいことはわからないが、見出しからだいたいのことは想像できる。

 まあ、本当に走ったかどうかは分からないが、マラソンなんてやるものではない。以下は、22歳(hex年齢)で初めてマラソンに挑戦した話である。

 2001年9月から12月まで、私は仕事の関係である場所に軟禁状態になっていた。自由に動くこともままならず、ストレスがたまり、運動不足により体がむくみ、ひどい肩こりに襲われた。そして、太った。

 これではいけない。そう思った私は、マラソンに挑戦することにした。目標は3月3日。準備期間はわずか3ヵ月である。

 12月26日、クリスマスプレゼントに買ってもらったシューズを携え、スポーツクラブに入会。初日はストレッチだけで疲れて終わった。こんなんで大丈夫かと思いつつも、やると言った以上はやる。

 私は昔から走るのが速かった。が、速いといっても短距離。長距離なんて10キロ以上走ったことはない。スポーツはほとんど球技専門。長距離は苦手な上に、高校を卒業して以来ろくにスポーツはしていない。さらに4ヶ月にも及ぶ幽閉生活。

 最初は、2キロも走れなかった。さらに走った次の日は、膝の痛みで歩くのも辛い。しかし、それでも週に2~3回は、少しでもいいから走るようにした。

 私は、スペシャルナイト会員という資格でスポーツクラブに入会した。これは平日の21時からしか入れない。この会員資格が一番安かったから、これにしたのだが、夜しかダメなのだから、当然、休みでもなければ仕事帰りに寄ることになる。私の会社は夜が遅い。21時に間に合うように退社するのは非常に勇気のいることだった。しかし、周りの冷ややかな目を無視。そのせいか、4月の査定は悪かった。

 1月下旬。まだ10キロも走ることができない。しかし、この頃から体に異変が起きていた。体のキレがよくなったと感じるのだ。物を拾うときなど、明らかに腰周りのキレが違うことを感じる。おなかの脂肪が引っかからないという感覚だ。しかし、体重が減ったわけではない。むしろ体重は2~3キロ増えている。脂肪が減って筋肉になっているのだ!

 1月末、ついに10キロ走ることができた。しかし、1時間以上もかかる。普通、マラソン大会には、制限時間がある。どこまでを何時間以内に通過しないと強制終了というもの。私が挑戦する「佐倉朝日健康マラソン」は33キロ地点を4時間30分以内。時速7.3キロ以上で走らないと失格ということになる。

 もっと練習が必要だ。でも、足が痛くて走れない。さらに、1月はコンサートが2回もあるし、1月末~2月はグアムへ遊びに行く。ピアノの練習、海外旅行準備。まったくマラソンへのやる気はあるのだが、完走するだけの練習はできない。

 もちろんグアムでも走った。現地では、走ってい人がけっこう多かった。プライベートビーチだから入ったら罰金500ドル、と書かれたところも気にせずに走る。どうでもいいことだが、この時期の為替は1ドル=137円。半年後の現在より20円も高い。そう、私は一番高い時期に行ってしまったのだ。でも、テロの影響でツアーそのものは安かったけどね。

 グアムから戻った私は、練習がオーバーワークになり、左膝を痛めた。この痛みはまずい。当然、練習どころではない。マラソン当日まで治るかどうかといったところ。なかなか治らないがスキーには行く。

 そんなこんなで、ついに3月3日を迎えてしまった。


<佐倉朝日健康マラソン 私と一緒に出場した会社の仲間たち>


 初マラソン。長距離は高校生の時の競歩大会以来。マラソンに備えてジムに通い、ウェストが5センチも細くなるほど走りこんだ。が、それがたたり、足を痛めたままの出場。目標は歩いていもいいからゴールインすること。

サブ
 マラソン6回目。朝目覚めたときから、腕立て、腹筋、背筋を必ずやるという筋肉バカ。大学時代はボート部。体力には絶対的な自信を持つ。密かに福岡国際マラソンを狙っている(無理です)。

サトト
 マラソン3回目。初マラソンはロサンゼルスという国際人。彼も私と一緒に幽閉生活を強いられていた。なまった体でどこまで記録をのばせるか。

ケースケ
 マラソン2回目。初マラソンではTシャツと乳首がすれて、血が出るというアクシデントがあったにも関わらず完走。今回は一度も歩かずにゴールすることが目標。彼も幽閉生活組。

*    *    *



 朝6時前に起床。寝不足。朝御飯を食べ、いざ出発。池袋駅のホームでサブから遅刻するという電話。さらにサブは、敷物を持ってくるという約束も忘れ、後で私の鉄拳制裁を受けることになる。

 京成上野駅に7時集合。サブ以外は時間通り。7分発の特急に乗り佐倉へ向かう。電車の中で寝ようとするが寝れない。電車の中は、成田空港に向かう客とマラソン参加者しかいない。成田空港組は大きな荷物、マラソン組はジャージ着用なのですぐに分かる。

 昨年は豪雨のため佐倉朝日不健康マラソンと呼ばれたが、今回は雨の心配はない。しかし、この日から冬型の気候になり、風が強くかなり寒い。ケースケやサブはそれなりの格好をしていたが、私とサトトは半袖半パン。私はまだ長めのパンツにベストを着ていたがサトトは薄いTシャツ1枚に短い陸上パンツ。見ている方が寒くなる。

 ちなみに、3月の気温は3月3日以外はすべて前年度比プラス。この日は本当に寒かった。

 9時過ぎには遅刻したサブも合流し、ウォーミングアップ。9時45分に大会挨拶。挨拶はご存じ小出監督率いる積水化学女子陸上チーム。もちろん高橋尚子もいる。

 積水女子チームの合宿所かなんかが佐倉にあり、今回走るマラソンコースのほとんどは積水女子チームの練習コース。コースにはあらゆるところに「金メダルロード」「尚子ロード」「裕子ロード」という標識がたっている。

 小出監督は「ここは高橋が金メダルを取る前に走っていた、たいへん縁起のいいコース」と言い、やる気を起こさせてくれる。その後、積水女子チームの一人一人の紹介があり、激励の言葉。まず高橋尚子が「私たちがいつも走っているコースです。一緒にがんばりましょう」と言う。大きな拍手と歓声。次に小出監督の娘がしゃべるが、高橋尚子の挨拶が終わると潮が引くようにみんなどこかに行ってしまい、それぞれウォーミングアップ。せっかく応援してくれるのに失礼だろと思いつつも、寒さでトイレに行きたくなり、私も全員の挨拶を聞かずに退散。ちなみに、積水女子チームは10キロのコースを走った。

 10時スタート。寒い。とにかく寒い。走っても汗が出ない。汗止め用のヘアバンドを装着するのを忘れたが、必要はない。風が強く腕や手は凍傷状態。

 スタートしてすぐにサブとケースケはペースを上げる。私とサトトは無理をせず自分のペースで。

 マラソンというのは心肺能力はあまり必要としない。もちろん、2時間台で走る人たちは別だろうが、完走を目指す一般の選手は基本的にジョギングペースで走る。だから息があがるということはない。最初から最後までずっと、しゃべりながら走っている人もけっこういる。

 5キロ地点。サブがややペースを上げ、ケースケがそのちょっと後ろを走る。だい ぶ遅れて私、その直後にサトトが走る。

 10キロ地点。サブは50分、ケースケは55分、私は63分、サトトは65分で通過。ここらへんはまだまだ余裕がある。給水所のジュースやパンを食べまくる。走っているとおなかがすくのでパンをポケットに詰めこんで、食いながら走る。

 ちなみに、走りながら給水所の水を取るというのは結構難しい。テレビで見ていると簡単に思えるが、やってみるとなかなか難しいものである。まして走りながらコップに入った水を飲むというのも難しい。上品な私とサトトはペースをちゃんと落として飲んでいたが、サブやケースケは半分こぼしながら、テレビで見るそれと同じ方法で飲んでいたらしい。

 15キロ地点。ここは国道。もちろん、車両規制をしているが、全面通行止めにしているわけではないので選手の隣を大型トラックがばんばん走る。歩道もないのでけっこう恐い。

 20キロ地点。2時間6分で通過(ちなみに世界記録ではこの頃にゴールイン)。きっちりと時速9.5キロペースでラップを刻む。まだまだ余裕。給水所のジュースやパンもおいしい。このペースで行けば4時間ちょいでゴール。初マラソンとしてはかなりいい記録だ。

 と思っていたら25キロを過ぎたところで急に足が動かなくなる。初マラソン経験者が誰もが陥る現象。マラソンにとって25~35キロがもっともきついと言われるがまさにそれを実感。足に激痛がきて、ついに歩いてしまう。それでもおなかはすくのでポケットからパンを取り出してエネルギー補給(食べてばっかり)。

 ちょっと歩いたところでサトトが追いつく。サトトは先に行きます、と言い残し去っていく。こう書くとみるみるうちに先に行ってしまうと思うだろうが、1キロで数10メートルの差が付く程度のスピード。だから微妙に前にいるという感覚だ。

 走っている最中に歩くというのは実はかなりのスピードで歩いている。普通の徒歩にくらべれば相当に早いのだ。だから走っている人と比べてもめちゃくちゃ遅いというわけではない。

 激痛と闘いながら、たまに歩き、走り、止まって屈伸運動をしたりして、気力で走り続ける。佐倉マラソンのコースは基本的に田圃の中を走り、と印旛沼を一周する。田圃の中を突き抜ける道では、舗装もしていないあぜ道を走るところもある。

 印旛沼のまわりは、もちろんちゃんと舗装されているが、風景も変わらず、風も強く、気分は滅入るばかり。もう止めようかという気持ちの方が強くなる。25キロを過ぎれば歩いている人もかなりいる。俺も歩けば楽になる、という気持ちを打ち消すのに必至。

 30キロ地点。3時間25分。20キロから30キロまでの10キロが1時間19分もかかっている。相当にペースが落ちている。33キロ地点が3時間42分。この大会は33キロを4時間30分で通過しないと強制終了させられる。それはクリアしたので、後は歩こうが何しようが、完走はできると思うと少しは気持ちが楽になる。

 給水所以外でも地元の人が、チョコやバナナを差し出してくれる。和太鼓のショーもやっている。交通規制をかけられて不満な地元のお兄ちゃんが、規制をしている人(たぶん地元のボランティアだろう)に罵声を浴びせている。ちょっとしたことが、すごく新鮮に思えてとにかく走る。足が痛くて痛くて、それでも走る。腕や手は寒さで赤紫に変色している。それでも走る。

 35キロ地点。4時間10分。サブとケースケはすでにゴールしている。サブは3時間51分という6回のマラソン経験の中で最も悪い成績。それも最後の坂で歩いてしまうという残念な結果。ケースケは前回の記録を30分も上回る納得の結果。一度も歩かずに走りきるという目標もクリア。

 35キロ地点のちょっと手前でサトトは股関節を痛め、足を引きずりながら歩いていた。私が追いつきしばらく一緒に歩くがかなり痛そう。無理をしないように言うが、あと少しなのでがんばるという。しかし、目の前でリタイアした人が係りの人に車を呼んでもらっていた。こういうのを見ると気が萎える。しかし、そこに恵の太陽が!

 冷え切った体は一気に暖まる。いつのまにか風も弱まっている。私は元気を取り戻し、再び走る。サトトはゴールインを目標に歩き続ける。

 35キロを過ぎればあと少しである。沿道の観客もあと少しと言ってくれる。確かにあと少しなのだが、走っている方にとってもめちゃくちゃ遠く感じる。なんで、自分は走っているのか、なぜマラソンは42キロなのか、30キロだったら楽なのに、などと考えているうちはまだましで、思考能力がどんどんなくなっていく。機械的に足が前に出るだけ。

 それでも給水所のジュースとパンは必ずいただく。本当に食べてばっかり。マラソン&食べ走りという企画があれば、けっこう強いかもしれない。

 40キロ地点。4時間55分。10キロに1時間30分もかかっている。密かに目標としていた5時間はもう無理だ。しかし、とにかく完走。足の痛みはピークに達している。足を出すだけで、足が地面を踏むだけで激痛が走る。あと少しなのに、もうリタイアしようという気持ちが出てくる。

 40キロから195メートル走るとあと2キロという看板がある。この195メートルがなんと長いことか! まだあと2キロもあるのか! 最後の2キロをクリアするのが本当に辛い。それも坂道。既にゴールした人はもう駅に向かっている。送迎バスがひっきりなしに往来している。

 坂を上りきると競技場が見える。サブとケースケ、マネージャーのMちゃんが競技場の入り口で待っててくれて声援を送ってくれる。さすがにここまで来るとやる気も出てきて足も軽くなる。競技場の中に入り半周してゴールイン。

 5時間15分ぐらい。ぐらいというのは、時計を止めるのを忘れていたため。自動計測をしてくれるので問題ないと思っていたが、この機械はスタート後5時間で止めて後片付けを始めていたところ。初マラソンなのに正確な記録は残らなかった。ちょいと残念。

 5時間26分でサトトが気力のゴールイン。たまに日が射すようになり、それが痛みを和らげなんとか走ることができたようだ。

 ゴールしても感動と言うよりは、足の痛みがあるのにこれで家まで帰るのか、という暗い気分。寒いのですぐに着込み、記念撮影をして早々に引き上げた。

 その後、上野で焼き肉を食べながら反省会。ビールも肉もうまい。朝早くから起きていたので、眠気はすぐに来る。おなか一杯になって、みんな足を引きずりながら家へ。

 人生の中で一番疲れた一日だった。


 その後、私は5月に皇居マラソンに出た。マラソン好きになったわけではない。ただ、せっかくマラソンを完走するだけの体力がついたのだから、それは維持したいと思っているだけである。

 さらに、1週間も運動しないと、体のキレが悪くなることを感じる。ズボンはぶかぶかだけど、太っているよりはまし。

 いつか、必ず、一度も歩かない「完全完走」を達成してやる!

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